2006年12月13日水曜日

Winny事件をめぐる論説について

悲喜こもごもあるようだが、ナンセンスな記事が数多く目に留まる。まだ判決文さえ手に入らない状況なのに(この記事を書いている段階では、裁判所のウェブサイトに判決文がアップロードされていない) 、不当判決だの技術開発ができなくなるだの、ネガティブな意見ばかりが目立つ。

確かに、前提(ファイル共有ソフトの開発者が逮捕されました)と結論(ファイル共有ソフトの開発者は犯罪者です)だけ見ていれば、何なりと言いがかりはつけられる。社会に有用な技術を提供したら犯罪者にされちまうのか、とかね。

しかし、これは論理の飛躍も甚だしい。というか、論理と呼べるものが存在しない。単に感情をぶちまけているだけだ。
裁判例で最も大事なのは、(少なくともその裁判を批評する立場としては)結論ではなく、理由だ。なぜその結論が出たのか。これに尽きる。もちろん、当事者としては、理由はともかく買ったか負けたかが重要かもしれないが、Winny利用者なり金子氏の支援者なりは、しょせんは外野なのだ。ならば、外野は外野らしく、検察の主張と被告人の主張を冷静に読んで、裁判所がどういう理由で判決を書いたのか冷静に検討して、その上で批判しなければ意味がない。ハッキリいって、結論だけ見てギャーギャー喚くのは、お子ちゃまだと思う。

私は、この判決が正当だとか、不当だとかいうつもりはない。むしろ、無罪判決を望んでいた。が、批判するからには、冷静に、論理的にするべきであって、有罪の二文字だけをことさらに強調して感情的に喚き散らすことだけは、避けた方が良いと思う。非常に重要な問題だからこそ、感情的になってしまってはかえって正しくない答えを導いてしまう。

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